設立年月日 | 昭和25年2月25日 |
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代表者 | 山代 晃義 |
本店所在地 | 〒602-0062 京都市上京区寺之内通小川西入宝鏡院東町588番地 TEL:075-441-8177 FAX:075-441-8179 |
資本金 | 10,000,000円 |
事業内容 | ■ 印刷 学会誌・記念誌・会員名簿(情報データ管理)・手帳・伝票(単票,連続)・袋・ポスター・パンフレット・会社案内・その他総合印刷 ■ 出版 学術刊行物(医学学会誌他研究報告書)・その他出版物 ■ その他 各種企画デザイン,ウェブサイト制作 |
取引銀行 | 京都銀行 府庁前支店 京都中央信用金庫 出町支店 中央三井信託銀行 京都支店 三菱東京UFJ銀行 京都支店 ※順不同、敬称略 |
主な取引先 | 学会関連(泌尿器科、放射線科、核医学、皮膚科、産婦人科、看護、その他)、京都大学、大阪大学、京都工芸繊維大学、同志社大学、近畿大学、立命館大学、花園大学、京都医療科学大学、滋賀医科大学、岐阜医療科学大学、京都コンピュータ学院、京都情報大学院大学、表千家同門会、京都府庁、京都市役所、京都府警、(公社)京都府少年補導協会、(公財)日本漢字能力検定協会、全関西スキー連盟、関西柔道連盟、上賀茂神社、平安神宮、(株)虎屋、(株)京都吉兆、(株)西京味噌、河村能舞台 他 ※順不同、敬称略 |
福利厚生 | スキー部(山代印刷株式会社スキー競技部)を設置。 |
沿革 | 戦前 山代治介商店弊社の歴史は、戦前の山代治介商店にまで遡ります。先々代の山代治介は、京都の地において呉服用の紙管を製作する事業を興し、紙管の両側に宣伝を入れるというアイデアで一世を風靡しました。しかし、その事業も戦争の混乱のなかで頓挫を余儀なくされました。 昭和21年 戦後の混乱期に「京都紙器工業所」として印刷業を開始戦後の混乱期の昭和21年10月1日、先代の山代多三郎が、紙管製作を通じて培った製紙業界との太いパイプを活かしながら事業を再開し、「京都紙器工業所」として印刷業を始めました。 昭和25年 山代印刷株式会社設立(初代代表取締役 山代 多三郎)昭和25年2月、組織変更により、「山代印刷株式会社」設立。その後も山代 多三郎は、機械設備及び工場の改善、増設を行い、経営の合理化を計りました。常にお客様のニーズに応える事を目指して事業を展開し、京都大学・京都府庁・京都市役所・京都府警察本部等の諸官庁等を受注先として順調に業績を伸ばしました。 昭和47年 工場全焼からの再出発昭和47年12月10日、弊社は設立以来の危機に見舞われました。火災によって工場が全焼するに至ったのです。各方面より、多くのご厚意とご激励をいただき、社員全員が一丸となって、事業復興に取り組みました。火災によりお客様にご迷惑のかからぬよう、直ちに仮工場で業務を継続し、その結果業務に支障を来たすことなく、半年を待たずして、焼跡に新工場を開設することができました。 昭和61年 山代 能之が代表取締役に就任昭和61年5月31日、弊社の礎を築いてきた山代 多三郎が死去。その8ヶ月後に山代 能之が代表取締役に就任しました。 平成18年 出版部を設置して、学術専門書を中心とする出版事業を開始。 平成21年 山代能之社長が近畿大学スキー部OB会長を務めながら、後進の育成により、スキー界に貢献する目的でスキー部を設置。 平成24年 山代晃義が社長に就任。 現在〜未来 新規事業へのチャレンジ |
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